ほぼ旅かなり旅ぜんぶ旅手帳

気になることだけを気にしてたところまで取り上げました

まるで忍者屋敷?【出石家老屋敷】には隠し部屋!【出石城】や【有子山城】に行く前に寄ったほうがためになる!

兵庫県北部

鳥取県や京都府、日本海に接し

県土の4分の1を占める但馬地方。

 

出石町一帯は、此隅山このすみやまで9代続いた山名氏の拠点でしたが

天下統一を進める織田信長の命を受けた羽柴秀吉が

但馬へ侵攻しています。

 

山名氏 本家最後の大名・山名祐豊は

落城した此隅山城から出石町南部へ移り

此隅山は子盗みに通じるとして 新たな城は有子山城としました。

 

しかし1569年の但馬攻めにより再び落城し

秀吉の従弟・小出吉政が城主となり

子の吉英よしふさは1604年

有子山麓に出石城を築きました。

 

一国一城令により近郊の竹田城などは廃城となり

但馬唯一のお城が出石城なのです。

 

出石城は明治の廃城令により取り壊されてしまいましたが

お堀と石垣が残るほか

先述の大手門跡に辰鼓楼が建ち

角櫓、登城門、登城橋が復元されています。

 

此隅山城趾と有子山城趾は国の史跡

有子山麓の出石城趾は豊岡市指定史跡で

いずれも続日本100名城です。

 

 

前ブログに記述した明治時代の芝居小屋・出石永楽館を出て

出石城下町の中心部へ歩いてみます。

 

北に此隅山城、南に有子山と出石城↓

小出氏は9代、100年ほど続いたものの後継に恵まれず

武蔵国岩槻より松平氏が移封

さらに信州上田の仙石氏とお国替えをした際

仙石氏は蕎麦職人も連れてきたため

出石は現在でも関西屈指の蕎麦どころ。

 

残念ながら蕎麦は体質的に受け付けず^^;

てくてく歩きながら春が近いことを知る。

できれば初午までに書きたかった^^;

旧暦での初午なので伏見稲荷とはひと月くらいのずれがありますね。

 

角を曲がると… 見えてきた♡

「辰鼓楼しんころう

立派な石垣は

出石城だった頃の大手門の石垣だったもの。

道を挟んだ反対側にも

同じような石垣を設けて門にしていたのでしょうか。

 

辰鼓楼は以前も取り上げましたが

お城の廃材でできてるんですね。

 

大手門からが「三の丸」。

標高321mの有子山の麓には

復元された「登城橋」と「登城門」と「角櫓」↓

内堀を超えて…

「西の廓」から石段を登って「二の丸」へ↓

本丸西角櫓の裏側に来ました^^

「本丸」が最奥にあるのが常ですが

出石城は本丸より上に「稲荷郭」があるという珍しいつくり。

鳥居のトンネルって美しい。

 

有子山稲荷神社が鎮まる稲荷郭からは碁盤目状の町筋が見下ろせて

さらに有子山城への入り口もありました。


この日は工事中の柵があったので侵入しませんでしたが

麓から1時間くらいで行けるらしいです。

 

瓦や石垣、神社などなど

もっと写真を撮ってきたつもりが

なぜか残っていませんでした泣

 

街へ降りて

上級武士の居住区であった内町通りに面する「出石家老屋敷」へ。

 

長屋門をくぐり…

上級のさらに上をいく高級(家老級)武士の屋敷だそう。

ガラスがないのが いかにもな気がしますね^^

 

ふむふむ。

頼もう〜♪

なになに?それがしは200円とな。誰やねん

 

外観は平家で実は2階建というだけに

廊下の天井が斜めですが それもまた趣があって良き。

展示物がいくつかと…

仙石家の家紋↑

大大大名行列が見ものの「出石お城まつり」のV↓

御家老殿!

小さくて急な階段。

登ったところ↓

すごい仕掛けを作ったものですね。

座るようにご案内があります↓

階段の人の出入りなどが分かるように窓が設けてありました。

天井が低いのは刀を抜けないように。

 

隠し部屋の隅の押し入れには↓

常々 万事に備えていて大変ですね。

えーーー!?

これ先に見たかった 出石城の図面↓

ここに来てこんな情報に出会えるとは。

山名氏の有子山城についても解説あり。

金沢の職人が作った鞍など↓

さすが加賀国。

 

ということで

出石町の城下ふらりでした。

 

出石家老屋敷はこちら↓